Quantcast
Channel: wantonのブログ
Viewing all articles
Browse latest Browse all 2985

★メルマガ第12号を配信しました。

$
0
0

メルマガ第12号を配信しました。





★メルマガ第12号
「原爆を造らなければ良かった」と言い残して死んだある日本人技術者


5月30日から31日にかけてメルマガ第12号を配信しました。
まだ届いていない人は、直ぐにご連絡下さい。
そのような訳で、昨日の31日には記事の更新は出来ませんでした。
一昨日は、止む無く再掲載の記事でした。 m(_ _ )m

ここ最近、広島・長崎原爆地上起爆説を扱っているサイトが
かなり増えて来ています。
何故なのかは分かりません。
この私でさえも、2011年当時は「陰謀論の極み」として
スルーしていた経緯も御座いますので、時間の経過と共に、私も含め、
ネット全体における意識レベルが変わって来たのかもしれません。

昨日も、大摩邇さんのサイトで以下の記事が出ています。

★1945年8月 原爆の地上起爆の場所はどこか? 
http://blog.livedoor.jp/genkimaru1/archives/1992879.html


私のツイートより

エノラ・ゲイ号の航路が、各地の空襲警報により
その全容がほぼ明らかになった。
広島で原爆が爆発したのは、8時6分。
その時に、エノラ・ゲイ号は呉あたりを飛んでいた。
何故、8時15分投下でなければならなかったのか?
広島観測所が午前8時14分にB29確認と記録されているからだ。


1945年7月16日、米国ニューメキシコ州で行なわれた
人類最初の核実験とされるトリニティ実験がアラモゴードで行われた。
ところが、当時のマンハッタン計画では、原爆の製造に失敗している。
濃縮ウランが出来ていなかったからだ。
これで、どうやって広島に原爆が投下出来るの!?

この広島・長崎原爆実験の大いなる闇は、
日本建国史上における最大の謎であり巨悪犯罪に間違いありません。
どんな悪魔でも裸足で逃げ出すほどのおぞましいホロコーストです。
にも関わらず、国民の何と反応の鈍い事でありましょうか!?
日本人は最も大切な心の何かを失ってしまったようだ。



もみじ
ブログ読者の方にも、メルマガのごく一部をご紹介させていただきます。

この日の飛行をエノラ・ゲイのシルバープレート部隊では
「ピクニック仕事」と呼んでいた事は確かである。
シルバープレート部隊の1人「クロード・ロバート・イーザリー機長」は、
広島への原爆投下を懺悔して、統合失調症?になったと云う説があるが、

これは、真逆で
「広島上空へは、空気を運んだだけのピクニック仕事だったよ」と酒の席で
発言していたから、米国空軍側から排斥されて精神障害者として社会的に
抹殺された訳である。


― 中略 ―

<「原爆は本当に、8時15分に落ちたのか」:中条一雄著:三五館発行>から、
186ページ“いま一人は私の中学、高校で二年先輩の水田泰次さんだ。
2000年8月発行の同人誌中で、
やはり「広島に原爆が落とされることがわかっていた」と、次のように書いている。

証言1:

当時、小生は京大工学部冶金教室の学生でした。
原爆が投下される三ヵ月前の一九四五年五月のある日、
冶金教室の主任教授の西村英雄先生に突然呼び出されました。
先生によると、アメリカの学会から秘密裡にニュースが先生に送られてきて、
当時の原爆製作を競争していた日本より先にアメリカで成功したというのです。
そして、その第一回現地テストを広島で行う予定が決まった。
できるだけ早く両親を疎開させなさいということでした。

水田さんは西村教授の忠告にしたがって、
両親をすぐに広島近郊の廿日市に疎開させた。
おかげで両親は原爆の被害にあわなくてすんだ。

この西村教授の忠告は、今や想像もできないくらい奇想天外ともいえる秘密情報だが、
水田さんはこう言う。

証言2:

西村先生に呼び出された時、先生の横に原子物語の湯川秀樹教授が
座っておられた。
それで、てっきり湯川教授からの秘密情報かと思っていたが、
どうやらそうではないらしい。
西村先生がアメリカとの独自のルートを持っておられたようだ。

独自のルートで考えられるのでは『もはや高地なし』の一節だ。
原爆投下の約半年前の一九四五年初めごろから、一部の米国学者の間から、
「原爆使用反対」の声が出て、その中心になったのがシカゴ大学の冶金研究所だった。

・・・ここで、証言2で、「湯川秀樹」がその場所に居たと云うのは、
話の内容に信憑性を持たせるのに、十分な効果がでている。
「湯川秀樹」は日本製原爆製造の象徴だから、この「秘密情報」を大本営(天皇)に
進言すれば、大本営参謀本部は「国民に避難勧告」を出来た筈である。
それをしないで、一部の優秀な学生を、静岡や京都に避難させていた事は、
湯川秀樹始め、日本の科学者は、一人の例外も無く「極刑」に値する。

更に、大本営参謀本部は、逆に「国民を広島と長崎に集合させて、
広島原爆使用の前日にラジオ放送(NHK)田中館愛橘が、
原爆の講演演説をしているのは何故?」5月に分っていたのなら、
「避難」させるべきだ。
そこが、若木敏夫が爆心地で感じた「広島は実験場」だった、という実感である。


― 中略 ―

私が「8時15分」にこだわって考えるようになったのは、
2冊の本をほぼ同時期に読んだからである。
その一つは中条一雄の『原爆は本当に8時15分に落ちたのか』(2001年)である。
もう1冊は、諏訪澄の『広島原爆 8時15分投下の意味』(2003年)であった。
この2冊を読み、「8時15分」という時間の持つ意味を考え続けた私は一つの
結論に達した。「広島原爆は完全に仕組まれていた!」

それでは、中条一雄の『原爆は本当に8時15分に落ちたのか』を読んでみよう。
中条一雄は1926年生まれ、小中高と広島で育ち、19歳のとき被爆した。
大学卒業後、朝日新聞の記者(スポーツ担当)となった。

・・・「おい、おい、山本君、本当かね。
もし8時6分だとしたらたいへんな歴史的な新事実だぞ!」
そんな声につられて、山本郁郎君が話しはじめた。

広島一中から広島高等工業(現広島大工学部)へ進学した彼は、あの日、
爆心から南方に約2キロ離れた平屋の校舎の研究室で被爆した。
クラスの友達たちは岡山の軍需工場に動員されていたが、
学業の成績がよかった彼は旧帝大への進学クラスに入り、
担当教授から研究テーマを与えられて広島に残っていた。

一瞬のうちに大破した校舎の下敷きになり、血まみれになりながら、
必死の思いで木材の間からはい出して防空壕に転がり込んだ。
そのとき時計を見たら、たしかに「8時6分だった」と、次のように話してくれた。

「ぼくが持っていた時計はロンジンだった。なぜそんな高価な時計を持っていたか
というと、動員で岡山に行った同級生から『軍需工場に行くと米軍の目標にされて、
爆死するかもしれない。大切なものだから預かっておいてくれ』と頼まれたものだった。
彼の父親は住友銀行のニューヨーク支店に長く勤め、開戦後に日米交換船で帰国した
人だが、ロンジンはその父親からもらっだものだった。彼は広島のほうが安全だと
思っていたらしい。
ぼくが時計マニアだと知って預けたらしいが、貴重な預かり物だからこれだけは
どうあっても守らなければならないと、宝物のように大切に扱っていた。

そのころNHKは時報の前に、たしかモーツァルトのドイツ舞曲第五番を流していた。
ぼくはそのメロディーを聞いて必ず時報に合わせるのを習慣としていた。
前夜もいつものように最後の時報に合わせた。絶対正確だったという自信がある。
大破した校舎からはい出した時、自分の時計なら見向きもしなかったかもしれないが、
友達の高価なものだから壊れていないかと心配で反射的に時計を見だ。
8時6分を鮮明に覚えている。絶対に間違いない」
山本郁郎君は2度も3度も「8時6分」を繰り返した。


<引用終わり>
----------------------------------------------------





管理人


エノラ・ゲイが、一度、広島上空に入り、播磨灘方面に飛び去り、
Uタ―ンして、戻って来たのを広島市より20キロ東部にある広島観測所が
確認したのが8時14分と、当時の実記録が残されています。
だから、何がなんでも8時15分に投下されたとしなければならなかったのです。

しかし、実際に爆発が起こったのは、8時6分です。
8時6分に、エノラ・ゲイは、呉上空を飛んでいたと推定される。
エノラ・ゲイが、広島に原爆投下など出来る訳がない。



「原爆を造らなければ良かった」と
言い残して死んだある日本人技術者

http://ameblo.jp/64152966/entry-12164817035.html

コメントより

22 無題

何故みなさんはトンチンカンなコメントをされているのですか
天皇は原爆を作って自国民をモルモットにしたというお話ではないのですか
広島のウラン型原爆を造る技術はアメリカにはありませんでした
アメリカは現在に至るまで、ウラン原爆を作ったことは無いですよ
製造の容易なプロトニウム原爆は作っていましたが

天皇が広島で原爆を炸裂させる3日前から小学生1万7千人を集めておいて
爆心地からの距離と死亡率の関係をグラフにしました
何も知らない子供たちが1枚のグラフになったのですよ
怒りの感情が湧いてきませんか

nanacy

2016-05-30 16:07:46






もみじ
【光軍の戦士メールマガジン】
http://ameblo.jp/64152966/entry-12087989697.html


今のメルアド
mail@wantoninfo.com


今の受付フォーム
http://wantoninfo.com/


第一期メールマガジン (2015年11月~2016年1月)

★メルマガ第1号~ガンの本質と生還
★メルマガ第2号~【食事療法とマイナスイオンと水素】
★メルマガ第1号追加補足~【真菌(ガン)の天敵とは!?】
★メルマガ第3号~被汚染地域の「突然死!」
★メルマガ第4号 『被汚染地域の発症までの時間をかせぐ必須アイテム!』
★メルマガ第5号 『10年後のあなたの笑顔が見たい』



第二期メールマガジン (2016年2月~2016年4月)

★メルマガ第10号 『カレイドスコープ vs 真実を探すブログ』
★メルマガ第9号 『あなたが決して知ってはならない恐るべき日本の闇』
★メルマガ第8号 『甲状線ガンについて』
★メルマガ第7号『白血病について』の追加補足
★メルマガ第6号『白血病について』~生還の為に知っておくべきこと!
 〇『白血病について』~重要資料



第三期メールマガジン (2016年5月~2016年7月)

★メルマガ第11号 『万能酵母液の作り方』
★メルマガ第12号
「原爆を造らなければ良かった」と言い残して死んだある日本人技術者












Viewing all articles
Browse latest Browse all 2985

Trending Articles